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漆刷毛師  九世 泉清吉

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漆刷毛師 九世 泉 清吉 江戸明暦から続く代々の漆刷毛師の家に生まれましたが、最初から漆刷毛師になったのではありません。

親父、八世・泉清吉は、この漆刷毛師の大変さ、そして仕事としての将来の見込みなどを思ったのか、子供の頃から私に、ただの1度も仕事を継 いで欲しいとか、漆刷毛師になれ、などとは言ったことはありませんでした。

逆に、大変だから別の仕事をしたほうが良いよ、と言い続けるのです。

ですから、私は将来は、モノを作る仕事、それも時代の先端をいくモノを作りたいものだと考えて電子工学のエンジニアになる希望を持ちました。 まだ電卓もない時代でした。

今なら情報工学かバイオの遺伝子希望でしょうか。

若かったですね。どうしても伝統的なものは古く見えてしまいますし、時代の最先端のものに目が向きがちです。


神田市場のすぐ隣の秋葉原電器街には昭和31年の小学6年から通い始めました。秋葉原は祖父の頃から通いなれた神田明神様の側でしたから、慣れたものです。

始めて購入した本は1960年発行の奥沢清吉先生著「トランジスタとその使い方」です。まだ回路図もわからないのに無鉄砲ですね。

ラジオ少年となり、はんだごてを手にトランジスタラジオを作りまくりました。

数年前に人間国宝のA先生とお話したときに、私も真空管ラジオやアンプ製作に夢中でしたよ、とお聞きしてうれしくなったものです。

私は子供の頃から側に当たり前のように置いてある、鉋、鋸を使っての木の細工が好きでした。モノを作ることが本当に大好きなのです。


学校から帰ると毛揃えの仕事をしていた母親の手伝いも、頼まれたわけではありませんが 良くしたものでした。おもしろいのですよ、これが。

髪毛を揃える事は端から見ると、とても大変な仕事のようですが(実際仕事となると大変なのは間違いないのですが)わたしは、、あんなに1本1本バラバラ 、クシャクシャなものがピシャリと きれいに揃っていく手仕事に子供ながら魅力を感じていました。

今から考えると、この手伝いのおかげで、学生時代に漆刷毛師の仕事の基礎はほぼ身についてしまっていたと思います。 鉋や鋸、毛引きの道具はすでに使えていました。

理屈を考える前に体で覚えることができ良かったと思います。


親父について、木材問屋の集まる、水運の東京・深川木場に檜を買いに行ったり、湯島天神のすぐ側にあるかもじ屋さんに行ったり、 墨田区・向島の原毛屋さんに行ったり、浅草の職人さんに漆刷毛を届けたりしました。

そのころの木場は、都電が走り、縦横に流れる堀割に丸太の貯木が浮いていました。街には木材の良い香りが漂っていました。

帰り道は必ず、粋な浅草観音様に神田明神様界隈に寄り道でした。

それもそのはず、祖父の七世・泉清吉はチャキチャキの江戸っ子であり、神田明神様の宮鍵講代表を勤めていたのです。

江戸の粋、千社札では有名な神田市場の「いせ万」 さん「き◯七」さん「ちか坊」さん「紺三」さんと共に「日本一いづ赤」 は有名で、現在でも神田明神様境内にある納札塚の上方に名前が刻まれています。

一度使った札は二度と使いませんから、祖父の部屋にはいつも千社札があふれていました。きれいで粋でした。


祭礼の日には人力車に乗り、洋傘をさして祭りの音頭をとることで名を馳せ、知らぬ者なしの名物男でありました。

今でも、「あんたのおじいさんは、人力車に乗って祭りの先頭にたってすごかった〜」と古老に言われます。

家にはたびたび、火消しの粋な男衆がたくさん集まっていました。にぎやかだった昭和30年代の昔のことを時々思い出します。

親父、八世泉清吉もその血を引いて、いなせな江戸っ子職人でした。行動範囲はほぼ浅草・神田周辺でした。子供の頃から行き慣れているのでわたくしも、その辺りはいつも歩き回わります。

でも1970年代が青春だったわたしは、やはり街と言えば新宿ですね。


祖父の浪曲と千社札と神田の祭、親父の小唄に浅草と、昭和の時代が懐かしく思い出されます。

神田の旦那衆や江戸っ子職人達の気っ風、風情、人情がたくさん詰まってい たあの頃は懐かしく楽しいことばかりのような気がしてなりません。

やはりわたくしも江戸っ子職人の血を継いでいるのか、そんな気性が どこか肌が合います。

歳をとるほどにその血が出てきてしまうのです。

わたくし九世・泉清吉も、気が短く、トロトロとしたまどろっこしいも大嫌い。粋が大好き、野暮は大嫌い。生まれついた性分は治りそうもありませんね。


漆刷毛師 九世 泉 清吉 巻込作業 昭和の時代には、便利になったけれど窮屈な現在が失った何かがあったような気がして 懐かしくなります。

漆刷毛はなんとなく頭の片隅で気になりながらも、一生の仕事にしようという根性気概もなく、ゲバ棒、ヘルメットで吹き荒れた大学紛争、東大入試中止のまっただ中 の1969年、大学に入学し 、あこがれだった電子工学を学ぶことになりました。バリケ−ド封鎖で入学式は5月となりました。

半導体実験、物理学実験で毎日、レポート書きと提出に追われながらも、勉強というより自分の好きな電子工作の続きをさせてもらっている楽しい学生生活でした。

21歳4年生の初夏、第1希望のNEC日本電気に就職が決まりました。

希望に胸ふくらませてエンジニア1年生となり、東京府中事業所のにある像技術部の中のヒデオカメラの設計部に配属となり、学生時代と同じく巣鴨から新宿 乗り換え、京王線に乗って通勤する日々となりました。学生時代は調布まででしたので延長になっただけでした。


九世 泉清吉 鉋掛け 仕事のできる先輩について教わりながら日々業務用ハンディカメラNC1000の開発設計をして過ごしていました。 ちなみに開発のNC1000は泉(セン)から採っていただきました。感謝しております。

しかし、卒業間近くから何か心の中にモヤモヤしていた事の形が、実際に会社で仕事をして いる中で徐々に現れてきました。

自分のやりた いモノづくりというのは、これではないのではないか。

自分は機械を使って作る大量工業製品ではなく、そしてモノづくりの工程の一部分だけではなく、自分の手足、目、口までも道具として、自分の感覚を最大限に生かして作る、手作りのモノを、最初から完成まで 自分で作りたい。

さらには作り上げることで完成とせずに、使い手に直接手渡して良い悪いの手応えをつかむまでをしてモノ作りの完結としたい。


悩み考えつづけている内に、そういうことこそが自分のやりたい、人生で目指したい仕事だとはっきりとわかりました。形となって見えてきたのです。

そんな気持ちになっても当然ながら、なかなかふんぎりがつきません。悩みに悩み、どんなものだろうかと相談した結果、当然ながら周囲の全員に「やめとけ」 「しんぼうがたりない」 「3年やってみろ」「せっかく入った会社だろう」 「人生を賭けるのか」と反対されました 。

しかし、人生はゲームのようにリセットできないただ1度でのものであり、最後になって「本当はあの仕事をやりたかったのに」と悔やむことのないよう、自分の信ずる本当にやりたいことをやって人生を生き 抜いててやろうと、固く心に決めて翌年、会社を飛び出したのです。

そのころ技術者が大きな企業を飛び出す スピンアウト などとカッコいい言葉がはやっていましたが、そんなものとは無縁の、地味で陰の仕事の職人世界に入ったのです。


好きな事を仕事にできて 、生活もしていければ本当に幸せではないだろうかと思った23才のことでした。好きなことをやれれば、例え野垂れ死んだってかまわない、そんな悲壮な決意もほんの少しだけはありました 。

後年、いろいろな方に「漆刷毛師になるのにずいぶん回り道をしてしまったね。」と言われましたが、わたしはそう考えてはいません。

あの電子工学時代が漆刷毛製作の土壌ともなっているのです。モノつくりの精神はいささかも変わりありません

お世話になったNEC会社時代も、今になってとても勉強になっています。有り難いことです。人生何事も無駄なことはないように思われます。

こうして、いつのまにか、2010年現在で37年間も漆刷毛を作りつづけてしまいました。まったく飽きませんね。

NPO法人伝統文化夢工房 フォーラム

ユネスコ世界会議 東京国立博物館で実演 現在、親父の言った通り、仕事としてやっていくには本当に大変で あり常に苦労の連続ではありますが、それはどんな仕事でも同じであろうと思います。漆刷毛だけではありませんよね。

自分のやりたい仕事をしている満足感が常にあります。 また人生を余すことなく生き切っている感覚があります。

すべての工程を自分の思うようにできている喜びがあります。漆刷毛にはわたくしの全てが詰まっています。

そういう意味では本当に心から幸せです。使い手の方に、具合が良いよと言われてうれしくなったり、今度の刷毛はなんだかスカスカだよ、といわれて自信喪失したりと毎日を漆刷毛と共に過ごしています。漆刷毛製作 はわたくしの人生そのもの。漆刷毛に人生の想いが凝縮しています。


祖父や父の様に死ぬ直前迄製作し続けたいものです。


以前は、元・エンジニアのせいか技術的に品質の良い漆刷毛をなんとしても作る、ということが最大の目標でした。

しかし伝統工芸にも段々と逆風が吹くようになりました。良い原料が入手困難な状況となり、漆をする職人さんも少なくなり続けています。結果、40代後半からは漆刷毛を作り続けることが最大の目標となってきました。

さらに、50歳半ばを越えてからは、自分がいなくなった後、あの人は良い仕事をしていたね、といわれるような納得できる漆刷毛を作っていきたいと思っています。

昔に比べてこの漆刷毛の仕事を理解してくださる方も多くなり ました。1995年にポーラ賞、1998年には文化庁より親子2代に渡る、文化財選定保存技術保持者の認定もいただき、身に余る光栄、有り難いことと思っております。

2008年 東北芸術工科大学での製作実演


元来、職人気質の自分としては、あまり人様の前に出て、こんな仕事です、とか、こんなに上手く作りました、などと言うことなど、あまり自分や仕事をひらけ出すことなぞ望むものではありません。

江戸っ子職人としては、なんとなく「粋」でなく「野暮」と感じるのです。

しかしながら、このままでは漆刷毛の伝統というものが、忘れられていくことは必至だと思い、恥ずかしながらも各地で実演したり、お話しさせていただいています。 実際、今でもわずか30年前の漆刷毛のことでもほとんど忘れられているのが実状ですから。

日本の伝統の漆工、漆芸、国宝修理、海外での漆芸品修復にはこんな漆刷毛がどうしても必要であることを知っていただけば 、うれしいものだと思っています。

2010年1月 九世 泉 清吉

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